テレビ朝日「ホリエモンは何故嫌われる」 NHK「日本の、これから」

期せずしてこの二つの番組の後半を見た。

どちらも堀江の話題で、面白かった。堀江自身に関して言えば、企業買収のことしか話題になることが無いし、報道される前から、堀江は企業買収はしているので、今さら興味は無い。が、どちらも堀江を扱いながら、話の進め方が全然違う。田原の独断は、聞いていてもうんざりする。一方、三宅アナウンサーは、上手に話をまとめながら話を進めて行く。わかりやすい展開だった。三宅アナの方が、一枚も二枚も上。

NHK「日本の、これから」

この番組を見て、まず、思ったことは、本質的で大切な点が、なんとなくやり過ごされている点だ。

  • 若い人は「私はやりたいことがある」という。
  • 堀江は何人かに「私の会社に来ればいい」という。

一見、話は噛み合っているように見えるが、その間には氷河のクレバス程の溝があるように思えてならない。(cf. id:atm:20050112#p1)

  • フリーターが「やりたいこと」は何なのか。好きな音楽を聞くことなのか、ギターを弾きながら歌うことなのか。演劇をすることなのか。
  • 堀江が想定する「やりたいこと」は何なのか。会社の経営をして利益を出すことなのか、株の売買で儲けることなのか。

結局は誰かの役にたたなければ金は儲からないし、そういったことにリンクしないやりたいことは職業としては決して成り立たない。確認すべきはその点からだと思う。

次は、格差固定の話だ。この話は確かにあるように思う。大学生の質の低下は無縁ではない。固定格差を、大学の側から見てみよう。金だけ積んで受験テクニックを学んだだけの学生が大量に入って来ると、大学全体のレベルも低下することになる。すると、「だったら大学なんて出なくてもいい」などという風潮が漂っている。現在のままでは、大学生の質は加速度的に低下する。

某有名大学の総長が「知識基盤社会」という言葉を頻繁に使っていた。その是非はともかく、本来は、専門知識について研鑽を積んだものがその分野についてのオピニオンリーダーとなるのは社会的責務だ。高等な知識が必要とされる現代社会の状況では、その重責は一層高いはずである。

この二つの乖離的な状況は、社会全体の衰退を招く。このような観点からも、大学には誰でも行けるような状況を作らなければならない。